このブログの過去エントリにおいて言及したり、ダム便覧で「東日本一のダメダム?」という文章を掲載していただいた関係で、私は四万川ダムを愛しているという認識を持っていらっしゃるダム愛好家は多いようです。
実のところ後者の文章は前者の焼き直しであり、正直、2年以上私は同じことを言い続けているだけのようにも思えますが、
一見同じように見える文章ながら、私が執筆したそのスタンスにおいて、両者には大きな違いがあります。
前者は四万川ダムの公式見学会に初めて参加したあとのタイミングでの執筆であり、見てきたことを誰かに言いたくて仕方がない状態で書いた文章であるのに対し、
後者は四万川ダムを「やっちまったデザイン」と評されたことが我慢ならなくて書いた文章だ、という点です。
前回のエントリで言及したことですが
アマチュアダム界(=ダムマニア界)においての萩原雅紀氏の功績は特筆するべきものがあり、私は分類するならば「萩原以後」のダムファンであることは、過去エントリをざっと眺めていただければご理解いただけると思います。
おそらく萩原氏が「ダム」を出版しなくても、私はダムを好きだったでしょう。
しかしここまで、ダム好きであることをカミングアウトできたかどうかは疑問です。
萩原氏あってこその、ダム好きとしての夕顔の存在と言っても過言ではないのです。
ところが今回、四万川を「やっちまったデザイン」と評したのもまた、その萩原氏だったりします。
もちろん好き嫌いは人の自由ですし、苦手なデザインのダムは誰にだってあるでしょう。
かく言う私も苫田ダムだけは絶対好きになれない、と妙に自信持って言い切りたいくらいですし。
苫田は大好きな人が多いと思うので補足しておきますが、私は先端恐怖症なのです。
あの鋭角的なデザインが怖くてしょうがない。たったそれだけの理由です。
趣味において先人の好みというのは、後進に大きな影響を与えます。
すごいよ!いいよ!という口コミは大変肯定的に働きますが、
その分野において偉大な存在にdisられた場合、当然のことながらそれはマイナスに働くということになります。
萩原雅紀氏という、いわばダムファンの「教祖」に近い方が
「やっちまった」と発信したことは事件だ、と私はとらえたわけです。
私が苫田を怖いといっても、多くのダムファンがそれを否定してくれることでしょう。
苫田の大きな特徴であるラビリンス洪水吐の特性から、その立地、そのデザインの意義まで、絶対に皆が語ってくれると思います。
そのように、ダム好きという趣味世界で、誰かがあるダムについてマイナスなことを言っても、他の誰かによるフォローがあれば、そのダムへの名誉回復はなされ得ます。
そして、四万川ダムに対してその役を果たすのに、私以上の適任者がいたらぜひ教えて頂きたい。
私は四万川ダムを愛しています。
だから私は四万川について語り続けるのです。
マンネリでも、焼き直しでも。
四万川への愛を大声で語るそのことこそ、私にとっては萩原氏への恩返しともいえるのです。
と、大変にうざい前置きを書いてみましたが
要するに私は、四万川ダムのリハビリテーションがしたいのです。
リハビリというと、病気や怪我などで障害を負った人が、再びその機能を回復させる、あるいは代替手段を得るための過程を指しますが、
rehabilitationという単語自体のその語源はラテン語のre(再び)とhabilit(適した)であり、本来的な意味では「名誉回復」も含まれます。
私に、四万川ダムのリハビリテーションの機会を下さい!
2012年03月06日
2012年02月20日
女子がダムを語る意義について
もう本当に今更なのだけど、昨年の11月、相模ダムにある「相模湖交流センター」で、第一回ダムマニア展なるマニアイベントが開催された。
色々経緯があって、私もその中のトークショーに出演することになって語ってきた。
テーマは「ダムガールズトーク〜私が愛したダム〜」。
それを語り終えた直後のタイミングで某所にアップした文章がある。
ちょっと埋もれさせておくのもアレなので、ここでリサイクルしてみる。
続きを読む
色々経緯があって、私もその中のトークショーに出演することになって語ってきた。
テーマは「ダムガールズトーク〜私が愛したダム〜」。
それを語り終えた直後のタイミングで某所にアップした文章がある。
ちょっと埋もれさせておくのもアレなので、ここでリサイクルしてみる。
続きを読む
2011年12月14日
ねぎラヴァーは初音ミクの夢を見るか
上毛かるたの一枚に、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」という札があります。
井森美幸嬢の出身地として名高い下仁田町は、古くからねぎとこんにゃくの生産が盛んです。
なかでもねぎは「下仁田ネギ」というブランドねぎとして全国的に有名で、鍋にすき焼きにと大活躍します。
今の時期、この地域の運送会社は、お歳暮として送られる大量のネギの箱を前に大変な苦労をするのだそうな。
そしてねぎという作物は全国で作られており、産地の名を冠したいわゆるブランドねぎは、下仁田ネギの他にも多数あるわけです。
全国ねぎサミット2011という、全国の有名ブランドねぎが一堂に会する、私のようなねぎラヴァーにとっては夢のようなイベントが埼玉県深谷市で開催されるという情報が舞い込んできたのが、先月末。
深谷も「深谷ねぎ」で有名な街ですが、ここになんと全国11産地、12種のねぎが集まるのだというではありませんか。
運良く仕事も休みだったので、ここはもう行くしかないでしょ。
というわけで、12月11日日曜日。相方をそそのかして行ってきましたとも!
高崎から深谷までは40km弱。国道17号を直進するだけという、私でも迷子になる余地が殆どない素敵な経路です。
しかし、深谷市に入っても一向に祭典らしい気配がなく、日頃から私のボケっぷりに被害を受けまくっている相方などは
「ねえ、本当に深谷なの?熊谷の見間違いじゃなく?」という暴言を繰り出す始末。
いやいや、熊谷じゃなくて深谷だから!
いくらなんでもねぎの産地を間違えるとかありえないから!
しかも私の運転でも問題ない行程にもかかわらず、相方に運転頼んでるくらい確実に来たかったイベントなんだから間違うわけないじゃん。
などと強気な姿勢でいるうち、やがて見えてきた深谷市役所手前から「ねぎサミット駐車場」の看板がチラホラと出てきました。
この日のイベント始まりは9時からで、到着したのは9時半前。メイン駐車場の深谷市役所もまだガラガラ。
それでも会場についたらどうよこれ!

いきなり深谷市公式マスコットにして、全国ゆるキャラコンテストで堂々10位の「ふっかちゃん」登場!
頭に深谷ねぎが二本もぶっ刺さったナイスな造形とその愛くるしい表情で、ねぎサミットのお客さんもハートを撃ち抜かれまくりです。
さらに、ねぎサミットらしすぎるこのキャラクターの愛しさったら!

はるばる岐阜県羽島郡岐南町からおいでになった、岐南町公式マスコット「ねぎっちょ」です。
そして我らが群馬県からは

下仁田ネギの「ねぎ坊」が登場!
さらに、一部では有名らしい「音速ライン」のゆるキャラ(?)「ネギオ&ネギコ」もいるし、埼玉工業大学の公式マスコット「フカニャン」もいるし、ねぎサミットと言うよりもキャラ祭りの様相すら呈していたり…
そんな会場をびしっと締めてくださっていたのがこちら!

秋田県の白神ねぎの応援に駆けつけた、「泣く子はいねがー」ななまはげ様。
さすがの貫禄に、私もつい白神ねぎを買ってしまいましたw
さて。
前後してしまいましたが、参加したねぎ産地とねぎブランドの紹介です。
北から順に、秋田県能代市「白神ねぎ」、山形県酒田市「平田赤ねぎ」、福島県郡山市「阿久津曲がりねぎ」、新潟県新潟市「やわ肌ねぎ」、茨城県坂東市「坂東ねぎ」、群馬県下仁田町「下仁田ねぎ」、埼玉県深谷市「深谷ねぎ」、埼玉県さいたま市(岩槻区)「岩槻ねぎ」、千葉県松戸市「矢切ねぎ」「あじさいねぎ」、岐阜県岐南町「徳田ねぎ」、兵庫県朝来市「岩津ねぎ」、以上11産地12ブランド。
ねぎを後押しすべく、各地のマスコット、農協の方々が参加してるわけです。
反則気味なマスコットが新潟市で、ここはキャラクターではなく生身のアイドルを送り込んできていました。
その名も「negicco(ねぎっこ)」。
三人組のアイドルユニットで、新潟県では知らぬ者なき存在なんだそうな。
この日の午後にライブがあり、歌と踊りの意外なまでのうまさに驚くと同時に、新潟からきたnegicco追っかけの皆様の一糸乱れぬ掛け声と、negiccoロゴ入りTシャツにおののきました。
(いやー、でも可愛かったんでタワレコでCD探しちゃおうかなーw)
朝はやや閑散としていたねぎサミット会場ですが、昼頃になると大変なにぎわいになってきました。
お目当ては皆様、各産地のねぎ販売のブースです。
これは販促の一環なイベントでもあるわけで、まずは味を知ってもらうべく、各ブースとも様々なねぎ料理の試食コーナーがあり、イベント会場に立ちこめるネギ臭が凄いことになってました。
そしてこのネギ臭が購買意欲を煽る煽る。だってねぎラヴァーだもん。
試食のねぎ、例外なく美味しかったし…
というわけで。
私も気がついたら10ブランドのねぎを購入しておりました…

いや、イベント恐るべしです。まさかねぎばっかり1000円以上も買ってしまうとは…w
買えなかったのは地元の下仁田ねぎと、岩津ねぎだけでした。
下仁田は県内だからどこでも買えるとして、岩津ねぎは惜しいことをしました。
こっちでも扱ってくれるお店、ないだろーか。
個人的に気になったのは

ねぎ焼酎・ねぎらいというこのお酒。
昼間から飲むのが嫌いなので試飲しなかったのです。どんな味なんだろう?
そんなわけで、ねぎ充な一日だったのですよ。
おそらく来年も深谷で開催されると思われるので、興味のある方はぜひ行ってみるといいと思います。
深谷、いいところですよ。
ねぎサミット実行委員のみなさま、提案があります。
音速ラインのネギオネギコが出たんですから、来年はあの方を呼んではいただけませぬか。
ねぎといえばあのお方です。
そう、はちゅねミク様を…
後日談
現在、夕顔家の台所はねぎに占拠されています。
11日はねぎの天ぷらと焼きねぎをしました。
12日はねぎしゃぶをしました。
13日はねぎ鍋でした。
ねぎは美味しくて幸せですが、レパートリーが鍋に偏り過ぎな気がします。
ねぎ料理のレシピをご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
後日談2
ねぎっちょに会いに岐南町に行ってしまおうかと思いつめています。
岐南町ってどう行ったらいいのだろう…
井森美幸嬢の出身地として名高い下仁田町は、古くからねぎとこんにゃくの生産が盛んです。
なかでもねぎは「下仁田ネギ」というブランドねぎとして全国的に有名で、鍋にすき焼きにと大活躍します。
今の時期、この地域の運送会社は、お歳暮として送られる大量のネギの箱を前に大変な苦労をするのだそうな。
そしてねぎという作物は全国で作られており、産地の名を冠したいわゆるブランドねぎは、下仁田ネギの他にも多数あるわけです。
全国ねぎサミット2011という、全国の有名ブランドねぎが一堂に会する、私のようなねぎラヴァーにとっては夢のようなイベントが埼玉県深谷市で開催されるという情報が舞い込んできたのが、先月末。
深谷も「深谷ねぎ」で有名な街ですが、ここになんと全国11産地、12種のねぎが集まるのだというではありませんか。
運良く仕事も休みだったので、ここはもう行くしかないでしょ。
というわけで、12月11日日曜日。相方をそそのかして行ってきましたとも!
高崎から深谷までは40km弱。国道17号を直進するだけという、私でも迷子になる余地が殆どない素敵な経路です。
しかし、深谷市に入っても一向に祭典らしい気配がなく、日頃から私のボケっぷりに被害を受けまくっている相方などは
「ねえ、本当に深谷なの?熊谷の見間違いじゃなく?」という暴言を繰り出す始末。
いやいや、熊谷じゃなくて深谷だから!
いくらなんでもねぎの産地を間違えるとかありえないから!
しかも私の運転でも問題ない行程にもかかわらず、相方に運転頼んでるくらい確実に来たかったイベントなんだから間違うわけないじゃん。
などと強気な姿勢でいるうち、やがて見えてきた深谷市役所手前から「ねぎサミット駐車場」の看板がチラホラと出てきました。
この日のイベント始まりは9時からで、到着したのは9時半前。メイン駐車場の深谷市役所もまだガラガラ。
それでも会場についたらどうよこれ!
いきなり深谷市公式マスコットにして、全国ゆるキャラコンテストで堂々10位の「ふっかちゃん」登場!
頭に深谷ねぎが二本もぶっ刺さったナイスな造形とその愛くるしい表情で、ねぎサミットのお客さんもハートを撃ち抜かれまくりです。
さらに、ねぎサミットらしすぎるこのキャラクターの愛しさったら!
はるばる岐阜県羽島郡岐南町からおいでになった、岐南町公式マスコット「ねぎっちょ」です。
そして我らが群馬県からは
下仁田ネギの「ねぎ坊」が登場!
さらに、一部では有名らしい「音速ライン」のゆるキャラ(?)「ネギオ&ネギコ」もいるし、埼玉工業大学の公式マスコット「フカニャン」もいるし、ねぎサミットと言うよりもキャラ祭りの様相すら呈していたり…
そんな会場をびしっと締めてくださっていたのがこちら!
秋田県の白神ねぎの応援に駆けつけた、「泣く子はいねがー」ななまはげ様。
さすがの貫禄に、私もつい白神ねぎを買ってしまいましたw
さて。
前後してしまいましたが、参加したねぎ産地とねぎブランドの紹介です。
北から順に、秋田県能代市「白神ねぎ」、山形県酒田市「平田赤ねぎ」、福島県郡山市「阿久津曲がりねぎ」、新潟県新潟市「やわ肌ねぎ」、茨城県坂東市「坂東ねぎ」、群馬県下仁田町「下仁田ねぎ」、埼玉県深谷市「深谷ねぎ」、埼玉県さいたま市(岩槻区)「岩槻ねぎ」、千葉県松戸市「矢切ねぎ」「あじさいねぎ」、岐阜県岐南町「徳田ねぎ」、兵庫県朝来市「岩津ねぎ」、以上11産地12ブランド。
ねぎを後押しすべく、各地のマスコット、農協の方々が参加してるわけです。
反則気味なマスコットが新潟市で、ここはキャラクターではなく生身のアイドルを送り込んできていました。
その名も「negicco(ねぎっこ)」。
三人組のアイドルユニットで、新潟県では知らぬ者なき存在なんだそうな。
この日の午後にライブがあり、歌と踊りの意外なまでのうまさに驚くと同時に、新潟からきたnegicco追っかけの皆様の一糸乱れぬ掛け声と、negiccoロゴ入りTシャツにおののきました。
(いやー、でも可愛かったんでタワレコでCD探しちゃおうかなーw)
朝はやや閑散としていたねぎサミット会場ですが、昼頃になると大変なにぎわいになってきました。
お目当ては皆様、各産地のねぎ販売のブースです。
これは販促の一環なイベントでもあるわけで、まずは味を知ってもらうべく、各ブースとも様々なねぎ料理の試食コーナーがあり、イベント会場に立ちこめるネギ臭が凄いことになってました。
そしてこのネギ臭が購買意欲を煽る煽る。だってねぎラヴァーだもん。
試食のねぎ、例外なく美味しかったし…
というわけで。
私も気がついたら10ブランドのねぎを購入しておりました…
いや、イベント恐るべしです。まさかねぎばっかり1000円以上も買ってしまうとは…w
買えなかったのは地元の下仁田ねぎと、岩津ねぎだけでした。
下仁田は県内だからどこでも買えるとして、岩津ねぎは惜しいことをしました。
こっちでも扱ってくれるお店、ないだろーか。
個人的に気になったのは
ねぎ焼酎・ねぎらいというこのお酒。
昼間から飲むのが嫌いなので試飲しなかったのです。どんな味なんだろう?
そんなわけで、ねぎ充な一日だったのですよ。
おそらく来年も深谷で開催されると思われるので、興味のある方はぜひ行ってみるといいと思います。
深谷、いいところですよ。
ねぎサミット実行委員のみなさま、提案があります。
音速ラインのネギオネギコが出たんですから、来年はあの方を呼んではいただけませぬか。
ねぎといえばあのお方です。
そう、はちゅねミク様を…
後日談
現在、夕顔家の台所はねぎに占拠されています。
11日はねぎの天ぷらと焼きねぎをしました。
12日はねぎしゃぶをしました。
13日はねぎ鍋でした。
ねぎは美味しくて幸せですが、レパートリーが鍋に偏り過ぎな気がします。
ねぎ料理のレシピをご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
後日談2
ねぎっちょに会いに岐南町に行ってしまおうかと思いつめています。
岐南町ってどう行ったらいいのだろう…
2011年09月05日
思いと言葉はどちらが先にあるか
思うことがあってそれを言葉にしようと人はもがくのか
口から出た言葉に思いがかたちづくられるのか
どっちでしょーね。
写真を撮ってると、どうも後者だと思うことが多いんですが…
口から出た言葉に思いがかたちづくられるのか
どっちでしょーね。
写真を撮ってると、どうも後者だと思うことが多いんですが…
2011年02月25日
雪ダム
以前夜ダムを撮りに行ってるということを書いた。
ほかにも夜のダムを撮りに行ってる方は多いとみえて、なんとゆーかすっかり一ジャンルを形成しているようですね。(←なんの?)
で、世の中には山盛り雪が積もったダムを見たいという人もいて、某師匠などはほぼ毎週末を新潟県の三国川(さぐりがわって読んでね♪)撮影に費やしたらしく。
というわけで、久々に作ってみましたダムメニュー。

今回は三国川ダムシチューです。
堤体に降り積もった雪と、ダム湖に降り注ぐ雪をホワイトシチューで表現してみました。
洪水吐はウインナーで表現しましたが、これはベーコンのほうがよかったかも…
で、今度はコンバインダムを表現しようと画策中なんですが(つか、ターゲットは岩手の四十四田ダム限定w)。
どうもいい案が浮かびません。
皆様、何かいい案がありましたらコメントくださいませ。
ほかにも夜のダムを撮りに行ってる方は多いとみえて、なんとゆーかすっかり一ジャンルを形成しているようですね。(←なんの?)
で、世の中には山盛り雪が積もったダムを見たいという人もいて、某師匠などはほぼ毎週末を新潟県の三国川(さぐりがわって読んでね♪)撮影に費やしたらしく。
というわけで、久々に作ってみましたダムメニュー。
今回は三国川ダムシチューです。
堤体に降り積もった雪と、ダム湖に降り注ぐ雪をホワイトシチューで表現してみました。
洪水吐はウインナーで表現しましたが、これはベーコンのほうがよかったかも…
で、今度はコンバインダムを表現しようと画策中なんですが(つか、ターゲットは岩手の四十四田ダム限定w)。
どうもいい案が浮かびません。
皆様、何かいい案がありましたらコメントくださいませ。
2011年02月15日
仰げば尊し
撮りたいものがある。だから死ねない。
目標にしたい人がいる。だから、頑張ろうと思う。
ジャック・ラカンの定義を借りると、
師とは、「自分が知らないことを知っていると想定される主体」のことだそうだ。
相手は「私」が知らないことを知っていそうだ、それはどんなものか。
そう思った瞬間に、「私」は相手に決定的に敗北しているのだという。
これは「相手の謎」という「既にそこにある(と私が想定している)事象」を、決定的な遅れをもって追うということに他ならないからだ。
私には、写真で師匠と仰ぐ人がいる。
師匠と私の網膜の機能には多分差がない。
身長差もそれほど大きくはないから、景色を見たときの「映像」の差異もあまりないはずだ。
師匠に言わせると、カメラのスペックにもあまり差はないという。
それでいて、実際に撮った写真におけるこの差はなんだ。
正直、師匠の技量には全く太刀打ちできない。
眼も腕も、被写体に対する心のありようすらも。
師匠の写真を見たとき
「この人は写真のすげえ腕がある。その秘密はなんだ?」と私は思ってしまった。
その瞬間に、師匠は師匠になってしまったといっていい。
実は師匠は何も持っていないのかもしれない。
実はいーかげん極まりなく、思いつきで写真を撮っているのかもしれない。
それでも、一度師匠に謎を見てしまった私にとって、永遠に師匠は師匠なのだ。
師匠と同じ地平に立つためには、師匠の腕を理解し分析しおのれに再構築するだけでは足りない。
それだって大仕事だとは思うのだが、それは模倣という段階であり、
まだまだ師匠が先を往く状態を脱却できていない。
師匠に胸を張って写真を見てくださいと言えるようになるには
師匠と違う仕方で、つまりは私にしかできない仕方で、写真を撮るしかない。
一体いつになればその地平に立てるのか
正直言って見当もつかない。
おのれの腕に何度絶望すれば足りるのかもまったく知れない。
何度でも、此岸にてのたうちまわるしかないのだろう。
目標にしたい人がいる。だから、頑張ろうと思う。
ジャック・ラカンの定義を借りると、
師とは、「自分が知らないことを知っていると想定される主体」のことだそうだ。
相手は「私」が知らないことを知っていそうだ、それはどんなものか。
そう思った瞬間に、「私」は相手に決定的に敗北しているのだという。
これは「相手の謎」という「既にそこにある(と私が想定している)事象」を、決定的な遅れをもって追うということに他ならないからだ。
私には、写真で師匠と仰ぐ人がいる。
師匠と私の網膜の機能には多分差がない。
身長差もそれほど大きくはないから、景色を見たときの「映像」の差異もあまりないはずだ。
師匠に言わせると、カメラのスペックにもあまり差はないという。
それでいて、実際に撮った写真におけるこの差はなんだ。
正直、師匠の技量には全く太刀打ちできない。
眼も腕も、被写体に対する心のありようすらも。
師匠の写真を見たとき
「この人は写真のすげえ腕がある。その秘密はなんだ?」と私は思ってしまった。
その瞬間に、師匠は師匠になってしまったといっていい。
実は師匠は何も持っていないのかもしれない。
実はいーかげん極まりなく、思いつきで写真を撮っているのかもしれない。
それでも、一度師匠に謎を見てしまった私にとって、永遠に師匠は師匠なのだ。
師匠と同じ地平に立つためには、師匠の腕を理解し分析しおのれに再構築するだけでは足りない。
それだって大仕事だとは思うのだが、それは模倣という段階であり、
まだまだ師匠が先を往く状態を脱却できていない。
師匠に胸を張って写真を見てくださいと言えるようになるには
師匠と違う仕方で、つまりは私にしかできない仕方で、写真を撮るしかない。
一体いつになればその地平に立てるのか
正直言って見当もつかない。
おのれの腕に何度絶望すれば足りるのかもまったく知れない。
何度でも、此岸にてのたうちまわるしかないのだろう。
届くはずのない質問状を書いてみた
撮りたいものがあるからカメラを買った。
撮りたいものがあるから移動手段として車を買った。
撮りたいものがあるからそこに行く。
少なくとも私はそうでした。
そして私は写真で表現をしたいと考えています。まだそんな腕はありませんが。
撮りたいものがあるから撮りに行くのではないでしょうか?撮るのではないでしょうか?
そこに自分の意志や嗜好は存在しないのですか?
ならば写真を撮る主体はどこにあるのですか。
自分が撮りたいと思うことも表現の発露ではないのですか?
意志と表現とは別だと仰せですか?
自分らしさってキーワードが写真に不要なら、何も表現しないことが写真の本質なら
なぜあなたはフォトグラファーを名乗るのですか?
写真集を出すのですか?
なぜ「写真を撮ろう」っていうイベントで人を集めるのですか?
写真はカメラがあればだれでも撮れます。それは事実です。
では、このできあがった写真の差はなんなのでしょうか。
それこそが個性なんじゃないのですか?
あなたはだれかを、自分の発案で動かすことそれ自体が目的なのですか?
「写真を撮ること」は行動の一部で、できあがった写真には記録以上の意味はないということですか?
とある方に、↑という質問メールを書いた。
書いてみて、消した。
確実に私の言葉は届かない。
言葉が絶望的に足りていないからだ。
絶望的に足りない言葉は、認識の違いという深い河の底にある。
違う認識の人間に私の認識を文章で理解してもらおうとするのは、私が最も苦手とする分野だ。
というか、深い河の底から言葉を拾い出す手間をかける価値が、この質問にあるとは思えなかった。
たぶん私の質問は曲解されて、せいぜい「そんなことは言ってない」「あなたも一緒に」とかいう返事が来るのがオチだと思う。
だから
おそらく私はこの先も問うことはない。
決定的に違う。そう理解できたことをよしとするべきだ。
でも本音は言いたい。
この気分の悪さをどうにかしたい。
伝えたい。伝わらないことは自明だが。
自分の表現として写真を選ぶやつもおるんだよと。
私はすごい写真なんか撮れなくてもいいから、自分の意志で写真を撮り続けたいんだよと。
そして
私はあなたの意見は支持できないと。
撮りたいものがあるから移動手段として車を買った。
撮りたいものがあるからそこに行く。
少なくとも私はそうでした。
そして私は写真で表現をしたいと考えています。まだそんな腕はありませんが。
撮りたいものがあるから撮りに行くのではないでしょうか?撮るのではないでしょうか?
そこに自分の意志や嗜好は存在しないのですか?
ならば写真を撮る主体はどこにあるのですか。
自分が撮りたいと思うことも表現の発露ではないのですか?
意志と表現とは別だと仰せですか?
自分らしさってキーワードが写真に不要なら、何も表現しないことが写真の本質なら
なぜあなたはフォトグラファーを名乗るのですか?
写真集を出すのですか?
なぜ「写真を撮ろう」っていうイベントで人を集めるのですか?
写真はカメラがあればだれでも撮れます。それは事実です。
では、このできあがった写真の差はなんなのでしょうか。
それこそが個性なんじゃないのですか?
あなたはだれかを、自分の発案で動かすことそれ自体が目的なのですか?
「写真を撮ること」は行動の一部で、できあがった写真には記録以上の意味はないということですか?
とある方に、↑という質問メールを書いた。
書いてみて、消した。
確実に私の言葉は届かない。
言葉が絶望的に足りていないからだ。
絶望的に足りない言葉は、認識の違いという深い河の底にある。
違う認識の人間に私の認識を文章で理解してもらおうとするのは、私が最も苦手とする分野だ。
というか、深い河の底から言葉を拾い出す手間をかける価値が、この質問にあるとは思えなかった。
たぶん私の質問は曲解されて、せいぜい「そんなことは言ってない」「あなたも一緒に」とかいう返事が来るのがオチだと思う。
だから
おそらく私はこの先も問うことはない。
決定的に違う。そう理解できたことをよしとするべきだ。
でも本音は言いたい。
この気分の悪さをどうにかしたい。
伝えたい。伝わらないことは自明だが。
自分の表現として写真を選ぶやつもおるんだよと。
私はすごい写真なんか撮れなくてもいいから、自分の意志で写真を撮り続けたいんだよと。
そして
私はあなたの意見は支持できないと。
2011年02月04日
君よ知るや麗しの橋
鋼橋が好きで、どうしようもなく惹かれてしまう。
とはいえ、例によって勢いだけで突っ走る私のこと。
被写体との距離がとれず、結果、とんでもない写真の嵐になるわけで。
着眼点が違うということではなく、完全にそれ以前のレベルの問題なのは火を見るよりも明らかというか。
そもそも鋼橋に惹かれる原因になった橋というのはたぶんこれ。

昭和初期に架橋された中路式カンチレバーワーレントラス、東武鉄道隅田川橋梁。
越谷在住、浅草勤務だった私は、6年にわたり東武のこの橋を渡り通勤していました。
隅田川の両岸は、「花」に歌われる通り桜の名所です。
その春の麗の景観を列車に乗った人も愉しめるように、列車に乗った人の視界を塞がないようにという点を理由の一つとして中路式が選択されたと聞いたとき、私はこの橋に、この橋の設計者に惚れました。
今に至るトラス贔屓は、おそらくこの時点で決定されたのでしょう。
写真がしょぼくて済みません。
カンチレバーであることが、ある程度はっきり分かる写真の手持ちがこれしかなかったもので…
ということで、橋への愛に対して腕が明らかについていけてない写真ばかりがこの先も続きます。
それでもいいという奇特な方は、どうぞ続きをご覧ください。
続きを読む
とはいえ、例によって勢いだけで突っ走る私のこと。
被写体との距離がとれず、結果、とんでもない写真の嵐になるわけで。
着眼点が違うということではなく、完全にそれ以前のレベルの問題なのは火を見るよりも明らかというか。
そもそも鋼橋に惹かれる原因になった橋というのはたぶんこれ。
昭和初期に架橋された中路式カンチレバーワーレントラス、東武鉄道隅田川橋梁。
越谷在住、浅草勤務だった私は、6年にわたり東武のこの橋を渡り通勤していました。
隅田川の両岸は、「花」に歌われる通り桜の名所です。
その春の麗の景観を列車に乗った人も愉しめるように、列車に乗った人の視界を塞がないようにという点を理由の一つとして中路式が選択されたと聞いたとき、私はこの橋に、この橋の設計者に惚れました。
今に至るトラス贔屓は、おそらくこの時点で決定されたのでしょう。
写真がしょぼくて済みません。
カンチレバーであることが、ある程度はっきり分かる写真の手持ちがこれしかなかったもので…
ということで、橋への愛に対して腕が明らかについていけてない写真ばかりがこの先も続きます。
それでもいいという奇特な方は、どうぞ続きをご覧ください。
続きを読む
2011年02月03日
アンストッパブルを見てきた。
私は陳旧性鉄子であり、さらに慢性鋼橋萌え症候群という病も抱えている身です(最近じゃそれにダム好きという病も加わっていますが、今回はダム関係ないのでスルー)。
そんな私に実に似合いの映画が絶賛公開中だというので、いそいそと見に行ってきました。
タイトルは「アンストッパブル」。
2001年にアメリカで起こった鉄道貨物輸送における重大インシデントをヒントに制作された映画です。
ストーリーは実にシンプルで、暴走機関車を止めようとする物語です(としか説明できません)。
で、アメリカって国はやたらと長大なトラス橋が多くて、この作品にもそれはそれは素敵なトラス橋がガンガン登場するのです。
もうもう、ストーリーは脇に置いて、トラスを見るためだけにまた見に行かねばと真剣に考えてる辺り、実に救いようがないんですが…
ということで、映画「アンストッパブル」のまとめ。
(以下、若干のネタバレがあります)
続きを読む
そんな私に実に似合いの映画が絶賛公開中だというので、いそいそと見に行ってきました。
タイトルは「アンストッパブル」。
2001年にアメリカで起こった鉄道貨物輸送における重大インシデントをヒントに制作された映画です。
ストーリーは実にシンプルで、暴走機関車を止めようとする物語です(としか説明できません)。
で、アメリカって国はやたらと長大なトラス橋が多くて、この作品にもそれはそれは素敵なトラス橋がガンガン登場するのです。
もうもう、ストーリーは脇に置いて、トラスを見るためだけにまた見に行かねばと真剣に考えてる辺り、実に救いようがないんですが…
ということで、映画「アンストッパブル」のまとめ。
(以下、若干のネタバレがあります)
続きを読む
2011年01月26日
「水域」を読んでみた。
「蟲師」のころから漆原友紀っていう漫画家は気になってて、現実とファンタジーが奇妙に交錯するあの世界観はすげえなと思っていたんだけれど、表紙買いしてしまったこの「水域」上下巻はまた凄かった。
まず、表紙買いしたぐらいに惹かれた表紙のカラーイラスト。
上巻は頭首工か堰と思われる河川構造物。。
下巻は吊橋。
これがあーた、漆原氏のあのタッチで描かれてるわけで。
これだけでもステキ過ぎる。
内容については、あえて詳細を語る野暮は致しますまい。
現代日本を舞台にしてるのにこれだけのファンタジーを描けるのかーという驚き。
このテーマを扱ったら、凡人は結末で白黒つけたがると思うんですよ。
そういうテーマを選択しながら、はっきりとした色をつけずに(つまり余り政治性を帯びずに)エンディングに着地させる力量というかバランス感覚というか、これはもう神だなとか思ったり…
だからもしかしたら、一部の白黒つけたい人には物足りなさを感じさせるかもしれないと思ったり。
理論武装して読んだら面白くありません。
表紙に興味を持たれましたら、ぜひ手に取って読んでみてください。
![水域(上) (アフタヌーンKC) [コミック] / 漆原 友紀 (著); 講談社 (刊) 水域(上) (アフタヌーンKC) [コミック] / 漆原 友紀 (著); 講談社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51u%2Bf3D1yTL._SL75_.jpg)
まず、表紙買いしたぐらいに惹かれた表紙のカラーイラスト。
上巻は頭首工か堰と思われる河川構造物。。
下巻は吊橋。
これがあーた、漆原氏のあのタッチで描かれてるわけで。
これだけでもステキ過ぎる。
内容については、あえて詳細を語る野暮は致しますまい。
現代日本を舞台にしてるのにこれだけのファンタジーを描けるのかーという驚き。
このテーマを扱ったら、凡人は結末で白黒つけたがると思うんですよ。
そういうテーマを選択しながら、はっきりとした色をつけずに(つまり余り政治性を帯びずに)エンディングに着地させる力量というかバランス感覚というか、これはもう神だなとか思ったり…
だからもしかしたら、一部の白黒つけたい人には物足りなさを感じさせるかもしれないと思ったり。
理論武装して読んだら面白くありません。
表紙に興味を持たれましたら、ぜひ手に取って読んでみてください。
![水域(上) (アフタヌーンKC) [コミック] / 漆原 友紀 (著); 講談社 (刊) 水域(上) (アフタヌーンKC) [コミック] / 漆原 友紀 (著); 講談社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51u%2Bf3D1yTL._SL75_.jpg)


