実のところ後者の文章は前者の焼き直しであり、正直、2年以上私は同じことを言い続けているだけのようにも思えますが、
一見同じように見える文章ながら、私が執筆したそのスタンスにおいて、両者には大きな違いがあります。
前者は四万川ダムの公式見学会に初めて参加したあとのタイミングでの執筆であり、見てきたことを誰かに言いたくて仕方がない状態で書いた文章であるのに対し、
後者は四万川ダムを「やっちまったデザイン」と評されたことが我慢ならなくて書いた文章だ、という点です。
前回のエントリで言及したことですが
アマチュアダム界(=ダムマニア界)においての萩原雅紀氏の功績は特筆するべきものがあり、私は分類するならば「萩原以後」のダムファンであることは、過去エントリをざっと眺めていただければご理解いただけると思います。
おそらく萩原氏が「ダム」を出版しなくても、私はダムを好きだったでしょう。
しかしここまで、ダム好きであることをカミングアウトできたかどうかは疑問です。
萩原氏あってこその、ダム好きとしての夕顔の存在と言っても過言ではないのです。
ところが今回、四万川を「やっちまったデザイン」と評したのもまた、その萩原氏だったりします。
もちろん好き嫌いは人の自由ですし、苦手なデザインのダムは誰にだってあるでしょう。
かく言う私も苫田ダムだけは絶対好きになれない、と妙に自信持って言い切りたいくらいですし。
苫田は大好きな人が多いと思うので補足しておきますが、私は先端恐怖症なのです。
あの鋭角的なデザインが怖くてしょうがない。たったそれだけの理由です。
趣味において先人の好みというのは、後進に大きな影響を与えます。
すごいよ!いいよ!という口コミは大変肯定的に働きますが、
その分野において偉大な存在にdisられた場合、当然のことながらそれはマイナスに働くということになります。
萩原雅紀氏という、いわばダムファンの「教祖」に近い方が
「やっちまった」と発信したことは事件だ、と私はとらえたわけです。
私が苫田を怖いといっても、多くのダムファンがそれを否定してくれることでしょう。
苫田の大きな特徴であるラビリンス洪水吐の特性から、その立地、そのデザインの意義まで、絶対に皆が語ってくれると思います。
そのように、ダム好きという趣味世界で、誰かがあるダムについてマイナスなことを言っても、他の誰かによるフォローがあれば、そのダムへの名誉回復はなされ得ます。
そして、四万川ダムに対してその役を果たすのに、私以上の適任者がいたらぜひ教えて頂きたい。
私は四万川ダムを愛しています。
だから私は四万川について語り続けるのです。
マンネリでも、焼き直しでも。
四万川への愛を大声で語るそのことこそ、私にとっては萩原氏への恩返しともいえるのです。
と、大変にうざい前置きを書いてみましたが
要するに私は、四万川ダムのリハビリテーションがしたいのです。
リハビリというと、病気や怪我などで障害を負った人が、再びその機能を回復させる、あるいは代替手段を得るための過程を指しますが、
rehabilitationという単語自体のその語源はラテン語のre(再び)とhabilit(適した)であり、本来的な意味では「名誉回復」も含まれます。
私に、四万川ダムのリハビリテーションの機会を下さい!