2016年01月09日

時は2015夏。って今いつだよ〜第三回ダムマニア展を今更振り返る〜

放置にも程がある状況なわけですが…

昨年8月、神奈川県相模原市にあります相模湖交流センターにおいて、第3回ダムマニア展が開催されました。
何だそりゃ、と思ったあなた!時代はダムですよ。
ダム趣味はいつの間にか世間的に認知が広がっていて、ダムマニアって人種の存在も人口に膾炙してるんですよ。
で、そんなダムマニアの文化祭みたいなイベントが、何故か相模湖で開催されたわけですよ、しかも第三回。
第一回いつだよって言うと2011年。第二回は2013年。隔年で開催。けど、次回2017年に開催されるかどうかは不明。
あ、相模湖って相模ダムのダム湖だかんね。で、相模湖って、京極夏彦先生の「魍魎の匣」において、被害に遭う少女二人が夜中に家出して目指してたところなわけで、あの小説の舞台は洞爺丸が沈む前。昭和27〜28年位ですね。その時にはもう存在してたわけですよ。割と歴史あるのよ。

さて。ダムマニア展。
主催はダム写真集を出版なさっていることでも名高い萩原雅紀様。
文化祭と称するからには、写真、絵、工作の展示がありました。そしてダムカレーを作るワークショップ、ダムカードバトル(!)やトークイベントがあったりしました。
御存知の通り写真はひどい腕のわたくしでありまして、今回はトークライブのみ出演してきました。

題して、「お母さんのためのダム利用法」
下久保ダムのカドを愛してやまないカドマスター・NOW2000ことなおさんと二人でオカントーク。
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水野(第一生命経済研究所)によると、「過去一年間で子どもと出かけた場所」を問うたところ、様々な選択肢がある(しかも複数選択可)にも関わらず、全ての選択肢において「父親が子どもと一緒に行ったと回答した率」は母親のそれを下回っていた。
スライド10.JPG
で、子どもと出かけた時にどんなことが不満か、というのを問うたところ
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と相成りまして。
(以上のデータは水野映子(2008)「子どもとその親の外出をとりまく環境」,株式会社第一生命経済研究所 http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/news/news0804.pdf より引用)
ざっくり傾向を読むと、まずみんなトイレに苦労してるなあと。
そして費用の問題にも苦慮しておられる。
そしてここでも母親は父親より不満を表明しているのが見て取れるわけですが、そんな中で一番下の項目をご覧あれ。
ここだけお父さんの数値が高いじゃないか!どれ、どんな…と見ましたらば。

「特に不満を感じたことはない」


……
………をいw

…気を取り直して。
トイレ。これ結構な問題ですね。
別の研究データですが、大森らによると、「歩道がない」「段差が危険」「駅にエレベーターがない」などの交通システムに関するバリアや、子どもが入れない施設があったり、子どもが利用できる設備がない(飲食店に子ども用椅子がない)などの活動機会に関するバリア、子どもの活動に親のスケジュールが拘束される時間制約のバリアのほか、外出にともなって派生する活動に関するバリアがあるとされています。
そして外出に伴い派生する活動に関するバリアの最大のものはやはりトイレであるとも報告されています。
(出典:大森宣暁, 谷口綾子, 真鍋陸太郎, 寺内義典(2009), 「子育て中の母親の外出活動とバリア」, 土木計画学研究・講演集Vol.39)
外出先を考えると、大人用に作られたトイレ、特に古いトイレは子どもにとっては危険な場所ですらあると感じることがあります。特に、所謂「ボットン便所」。オールドスタイルジャパニーズトイレですね。
今の子どもって、下手すると和式水洗便器すら跨げません。
ことトイレに関しての日本の技術革新てすごいものがあって、おそらく昭和30年代からいきなり現代にタイムリープしたひとがいたら、そりゃすんげー悩むんじゃないかと思うくらいです。いや、昭和50年代からでもビビるな。
余談ですが、認知症のお年寄りはトイレの認識ができなくなることがあります。
多分それも、彼ら彼女らの認識しているトイレと現在のそれの外観の乖離が生んでいることではないかと思われます。
だって、洋式便座をスルーして、多少なりとも和式便器に形の似た白上履きになみなみと用足しした人がいましたもん…(実話)
大袈裟な表現をしますが、トイレに関しては確実に文化の断絶って起こっている気がします。
で、そんな断絶の此方側で生を享けた子どもたちのなかには、逆に和式便器が使えない子がいるわけです。
そりゃそーよね、家のトイレだって圧倒的に洋式率高いんだもん。
学校にでも上がれば、否応なく適応させられていくのでしょうけど。
「もれちゃうー」ってぐずられる中、我慢させて並んで順番が来た→トイレが和式だった→「怖いー」ってぐずる子ども→全個室和式!
これホラーだわ。本気で泣ける。お母さん頑張れ!

そして男性用トイレ。
なんで男性用ってオムツ替えベッドとか設置してないケースが多いの?
これも母親中心の外出にならざるを得ない状況を助長していると思う。

話はさっきの第一生命経済研究所のレポに戻りますが、そんな状況でお母さんは疲弊している。
誰と出かけたいかって質問になんかもうね、1人で出かけたいですって答える人が多くなるのはもう仕方ない。
スライド17.JPG

誰かと出かけるより癒やされたいよね。

ん?

…癒やし?



あるじゃないか。マイナスイオンに満ちた癒やしの場が。
しかも自然豊かな山の中に。



そう、ダムですよ!

…という、牽強付会にも程があるトークをしてきたわけです。
とはいえ、ノーエビデンスなことは話してないですよw
続きは近いうちに。

I'll be back!
posted by 夕顔 at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

頭文字F

ダムを本格的に見て回るようになって間もない頃、私はひとつのダムと出逢いました。

そのダムは、さほど大きくはありません。
洪水でも渇水でも、テレビに映ることはほとんどありません。
役割をPRする施設もありません。

それでも私はそのダムに惚れました。
堤高100mに満たないながら、関東一の河川の本川に作られた「治水」を目的とするダムです。
奥州藤原氏の落人伝説が残る地で、ひっそりと下流を守る姿。
派手さはないけれど。
新しくもないけれど。
あまりにも寡黙に仕事をし続けるその姿に、惚れずにはいられませんでした。

いつか。
いつかこのダムの近くに住みたい。

そしてその機会はあっさりと訪れ
私はためらうことなく引越しを決意しました。


群馬の山奥に、ひっそりと谷を塞ぐダムがあります。
誰知らず、洪水を防ぎ、渇水に立ち向かう。
決して飾らず。
決して驕らず。
黙して語らず。

ダムの目的はFNP(洪水調節・不特定用水・発電)。
誇り高きFを掲げるそのダムの頭文字は、奇しくも同じF。

そのダムの名を、藤原ダムといいます。

fujiwaranight.jpgfujiwarasamakaryu.jpg
posted by 夕顔 at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

四万川リハビリテーション番外編〜群馬県の建物疑惑〜

それはある日突然湧き上がった疑惑でした。


新前橋駅前をなんの気なく車で通過した直後に、それが目に入りました。

fukusicenter.jpg
群馬県社会福祉総合センターです(助手席から撮影)。

このカラーリングには見覚えがある…

なんだろうなんだろうと考えて、思い出しました。

gnmprfofice.jpg
群馬県で一番高い建物にして、総工費444億円の超バブリースポット、群馬県庁です。

うわはははは。
おんなじおんなじーw

そして県庁から右に視線を遣れば

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群馬県警察本部も同じような佇まいで…


なんでー?と思うまもなく、トドメがこれでした。

maebashipolice.jpg
群馬県警前橋警察署。


共通点はカラーリング。
完成した年度だけ調べてみましたが
県警本部が平成8年
社会福祉総合センターが平成9年
県庁が平成11年
前橋警察署が平成16年

ざっくりいうと、「だいたい平成10年あたり」の建物といえるでしょうか。
いや、前橋署はちょっと偏差がでかいかもしれませんが…

そして思い出しました。

四万川ダムが竣工したのは平成11年であったと。
四万川ダムは、県営です。

もしかして、と思ってダムクラスタに四万川管理所の写真がないか質問を投げてみたところ、
新潟在住ダムクラスタ(最近は焼肉クラスタっぽいけどw)の夜鷹さんから写真提供を受けました。

これです。じゃじゃん♪
shimagawakanrisyo.jpg
夜鷹さん撮影の四万川ダム管理所〜

うーん、なんかやっぱり似てるー。

そしてもうひとつ気になったのが、例の化粧型枠。

四万川ダムの建設とほぼ同時期に堤体の嵩上げを実施した、やはり群馬県営の坂本ダム(安中市。碓氷峠近く)の嵩上げ部分がこれなんです。
sakamotojouryuu.jpg
夏のダムナイトで、群馬在住の(砂防)ダムマニアのtakane様が検証されていましたが、四万川ダムと坂本ダムは、同じ型枠が使用されているのです。


これって、この時期の群馬県には、なぜかとってもいろいろな建造物のデザインを統一したい欲求でもあったんでしょうか…そしてそのムーブメントに四万川ダムも乗っちゃっただけ?


うーん。

私としては
それでもあえて、祈りによるデザインであるという説を推したいのですけれどもねー。


ということで
こんどこそ「四万川リハビリテーション」、終了です。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。



参考文献・引用文献
四万川ダム工事誌 (群馬県土木部/2000)
中之条町誌 (中之条町 編)
群馬県史 (群馬県)
あなたにも教えたい四万温泉 (上毛新聞社/2011/小暮淳)
ダムと鉄道 (交通新聞社/2011/武田元秀)
posted by 夕顔 at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 群馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四万川リハビリテーション8〜負けるな四万川ダム〜

ということで完成した四万川ダムですが、扱いが色々悲しいことになっています。

@中之条町パンフレット「奥の院 中之条」での扱いが悲しい件
hidoi1.jpg
「奥四万湖 四万温泉の最奥にある人造湖で、四万川をせき止めてできた湖です。一周4kmの湖畔は春の新緑や秋の紅葉の名所で、光の加減によって色が変化する湖水は見入ってしまうほどの美しさです。」


A四万温泉協会のパンフレットでの扱いが悲しい件
hidoi2.jpg
「奥四万湖 四万川は、過去に幾度となく洪水による災害に見舞われ、多くの死者を出すなど甚大な被害を与えました。このため、奥四万湖は、洪水調節を目的として作られました。又、このほかにも水道用水の供給、既得用水の安定化、河川環境保全、発電などの目的にも使われております。」




いらいらいらいら。
いらいらいらいら。



だぁからぁ!

奥四万湖が綺麗なブルーなのは認める。
認めるけど。
人造湖ってさあ…確かにそうだけど。そうだけど。
奥四万湖じゃないでしょ。いや確かにダム湖は奥四万湖だけど。そうなんだけど!
特に温泉協会!
「洪水調節を目的として」とか書くなら、ちゃんと「四万川ダム」って書いてやってください。お願いです。

さらに一部のダムマニアからは「やっちまった感があるダム」として認定され…

これはひどい。ひどすぎる。
四万川ダムが人間だったら、人間不信から引きこもりになってるレベルですよ!

それでも四万川ダムは、黙々と働きます。
ダム竣工直後の平成11年8月、この地域で観測された豪雨に対して早速その洪水調節機能を発揮、その結果、下流の嘉満ケ淵観測点(高水・低水基準点)での水位を、ダムがない場合に比べて97cm低減させました。

詳しくは、四万川ダムのサイトで見られるハイドログラフ等をご覧下さい。

この働きっぷりを知って、もう一度ダムサイトを見てください。
shimagawagenseikou.jpghinatamipark.jpgshimagawajouryuu.jpgrainyshimagawa.jpgこれを王子と呼ばずして、なんと呼べというのか。


結論。
擬岩でもいいじゃないか。王子だもの。
simagawateitai.jpg


ぜひ一度、四万川ダムを訪れてみてください。
きっと何か、心に残るものがあるはずです。


ダム見学のあとは、四万温泉街新湯地区の柏屋カフェにどうぞ。
onsenmark.jpgagasisi.jpgkashiwayamenu.jpg
地元吾妻産のイノシシを使用したコロッケで作った「あがししコロッケバーガー」や
ラテアートが楽しい「温泉マークカプチーノ」があります。
カレーも美味だって聞いてますよ?
デートにもお薦めです。

そして温泉街をそぞろ歩けば、
smartball.jpg
今時珍しくなったスマートボールのお店があったり
Howetruss.jpg
木造ハウトラスの渡り廊下が見えたりします。

さらに、温泉口地区の日帰り湯、「四万清流の湯」。
shimasabou.jpg
こんな素敵な砂防堰堤が迎えてくれます。
2時間500円ですが、JAF会員の方は会員証をお忘れなく。
受付で提示すると、2時間300円になります。

そんなわけで
長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
「四万川リハビリテーション」と題してのエントリはこれで終了です。
果たして萩原様がこれをご覧になった場合、どのような感想を持たれるのか。大変に楽しみです。
四万川ダムのリハビリテーションは果たして為されるのか否か。

…と思ったら、一つ忘れてました。
すみません、あと一回だけ続きます。
posted by 夕顔 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四万川リハビリテーション7〜ダムと祈り〜

四万川ダムは、四万温泉を洪水被害から守るために建設されたダムです。
そして四万川ダム建設後、四万温泉で洪水被害は出ていません。


rainyshimagawa.jpg
四万川ダム下流面です。
若干アングルが違いますが、他の重力式コンクリートダムの写真を示すと
ohmachi.jpg大町ダム(長野県大町市)

違いがお分かりになりますか?

四万川ダム下流面は、以前ちょっと書きましたが化粧型枠を使ってコンクリートを打設しています。
コンクリート表面に模様のような筋があるのがお解りいただけると思います。
一方、大町ダム下流面は経年による汚れが見受けられるものの、のっぺりしており、四万川ダムに見られるような模様がみられません。

この化粧型枠の存在が、ダムファンの意見を分けたようです。
このダムを「やっちまった」と評した方は、ダムはストイックにあるべし、余分な装飾は不要と思われたのでしょうか。
でも。
私は、この化粧型枠こそが四万川の四万川たる所以だと認識しています。

一部からdisられてますデザイン関係、四万川ダム工事誌を元に、もう少しつっこんでみます。
計画時、四万川ダム及びダム貯水池(ダム湖/奥四万湖)周辺は」「中之条リゾート整備計画」において、「四万川ダムゾーン」と位置づけられていました。
整備方針を工事誌から抜粋すると
「ダム及びダム湖周辺を区域とし、地域に開かれたダム事業の目的とするダム本体や湖面の可能な限りの一般開放やダム湖周辺の利活用のできる区域に、ダム周辺道路をアクセスに周遊性を持たせた配置になるよう景観施設や親水施設等を整備するとともにウォータースポーツやイベント等のソフト事業の展開の場とする。」

そしてこの整備計画、なにが目玉かというと「ダムを下流からも見る」という視点を導入した点にあると思います。
ダム下流右岸は『集いの景』と銘打たれ、整備の基本方針として「当該区域は四万川ダムゾーンの入り口であり、基本的な考え方は『人がともに楽しむ舞台』と位置づけられている。ダム周辺への拠点であることから、人の集まりやイベント機能を兼ね備えた広い空間を創出するものとした」と謳われ、ステージ、芝生広場、ブロック舗装の園路、駐車場、親水用階段などの設備が計画され、実際に配置されました。
hinatamipark.jpg
言うまでもなく下流にある日向見公園のことです。
そして実際にイベントで活用されています。
okushimamatsuri.jpghinatamigunma.jpg
平成21年の日向見公園における「奥四万湖夏祭り」の様子です。
もう一度整備基本方針を見て下さい。
群馬県と中之条町がこの日向見公園を、「四万川ダムゾーンへの入り口」「ダム周辺への拠点」と規定したということは、特筆すべきことだと考えます。

<以下チラシの裏>だってさー、ネットでダム情報調べたりして、一般の方のブログとかがヒットするじゃん?そーすると、ダム湖の写真を「ダム」って銘打ってアップしてたりするのを多々目にするわけですよ。非ダムオタなら仕方ないけど、責められないけど、原因を考えてみるとですね、行政とか観光協会とか(つまり公のサイト)が平気でそういうことをやってるわけですよ。ダム上流面がチラッとでも写っていれば「あー、ダムだよなあ」と、多少のモヤモヤはあっても許せるのかもしれませんが、「どう見てもダム上流側(どう見ても100%ダム湖と周囲の山と空)だったりすると、小一時間説教かましたくなります。あれ、本気でイラッとするわ〜。そういう意味でもこの計画は素晴らしい!と絶賛したくなるわけです。<以上チラシの裏>

で、化粧型枠に話を戻します。
工事誌では、四万川ダム建設地点が「上信越国立公園内にあり、人家や温泉街の観光地に近いことから、ダム完成後の景観に配慮して、ダム下流面に周囲の自然環境に溶けこむように擬岩模様の化粧型枠を採用した」とあります。
下流からみることを意識した結果生まれたのが、この外観だったということなのかもしれません。
国立公園内の開発は様々な制約があり、仮設備のカラーリングさえも環境庁の指導が入るということです。
もしかしたらデザイン決定の経緯にも、何かあったのかもしれません。

ただ、私が完成した四万川ダムサイトを見て思うことは
以前からの繰り返しになりますが
「水害ではなく、水の恵みを下さい」
「穏やかに流れる川であって下さい」
「ダムは下流を守る城砦であってください」
という、四万川の氾濫による被害を受け続けた地域の祈りを具現化したらこんな形になったんじゃないか、ということに尽きます。

もはや妄想と言うべき私の思い込みなのですが、この妄想フィルタを通すとあら不思議。

四万川ダムが
身を呈して下流を守る王子にしか見えなくなってしまうのですw

だってね、見てやってくださいよ。この雪の四万川ダムの美しさを。
snowshimagawa.jpg
擬岩模様に雪が降るとこんな感じになるのです♪

四万川ダムは王子です。
誰がなんと言おうと、王子なんです。
posted by 夕顔 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四万川リハビリテーション6〜温泉とダム〜

四万川ダムのパンフレットをお持ちの方は、お手数ですが表紙をめくって頂きたい。
お持ちでない方は、よければ群馬県四万川ダム←このリンクを見て頂きたい。
(そして目次から「ダムの概要(諸元と図面)」に進み、さらに「四万川流域概要図」をご覧頂きたい)
その図面はダムの集水域や高水基準点(平たく言うと、ダムより下流に設定された観測点で、氾濫を起こさず安全に川の水を流せる限界の数字を設定した地点。その数字以下に水位を保てるように水量を調節するのが治水を目的に持つダムの役割だと思って下さい)などが記載された地図があるはずです。
web上の概要図だと何故か凡例が中途半端なのですが、図の上方、四万川ダム湖を示すブルーの直下に赤い三角があります。これが四万川ダム本体(堤体)ですが、見ていただきたいのはそのすぐ下流。
茶色く縁どられた細長い地域があるのがお解りでしょうか?
パンフレットにはきちんと凡例が記載されていますが、これが四万川の洪水氾濫区域で、これは四万温泉街にほぼ一致します。
洪水氾濫区域の最下流は「嘉満ケ淵基準点」という記載があるかと思いますが、ここは「四万川リハビリテーション4」で紹介した四万取水堰堤のすぐ下流にあります。
つまり、温泉最下流の温泉口地区に至るまですべてが洪水氾濫区域なのが四万温泉なのです。

四万温泉になにかその痕跡はないか探してみたところ、このようなものを見つけました。

「四万温泉」というキーワードで検索すると、宿で一番目にHITするのは「積善館」でした。
二番目にHITしたのが「四万やまぐち館」というところですが、このやまぐち館には「題目露天風呂」というお風呂があります。
やまぐち館はその名の通り、四万温泉山口地区にあります。創業は古く、江戸延宝年間(1673〜1681)といわれます。
この宿も川沿いにあり、幾度も四万川の氾濫を経験しているのですが、実はこの宿の建物本体は洪水被害を受けたことがないのだとか。
その理由になったのが「題目露天風呂」にある大岩なのだとか。
四万川にせり出したこの大岩に荒れ狂う水が当たり、ちょうど川がカーブを描く場所にあることも幸いし、
建物の被害は免れたということのようです。
近年の改修時、宿を守り続けたこの岩を供養するために南無妙法蓮華経の題目を刻んだということで、やまぐち館オフィシャルサイトによるとその大きさは周囲25mの大きさを誇るとか。自然石に刻んだ題目としては日本最大級だという情報もどこかで目にした気も…

で、入って来ましたよ題目露天風呂。
風呂の中の画像はやまぐち館のオフィシャルサイトからご覧下さい。あ、おねいさんの入浴風景は写ってませんのであしからず。
あつ湯が好きな方はぜひ行くべきです。
宿泊しなくても、立ち寄り湯だけのご利用も可能です。
なお、午前中は男湯、午後は女湯になるそうですのでご注意くだされ。


さて。
ここで四万川ダムオフィシャルな話題になります。
四万川ダム工事誌を見ると、洪水史で触れた昭和10年の水害がクローズアップされています。
以下に全文を引用します。

四万川沿川の上流地域の四万温泉は、河川に沿って旅館が林立していることにより、過去において、昭和10年9月、昭和23年9月、昭和24年8月と連続して台風被害に見舞われ、特に昭和10年9月の台風による被害はひどく、死者64名、流失家屋61戸、その他橋梁流失、道路決壊等甚大な被害を被った。また、昭和40年9月、昭和56年8月にも出水による被害を受けている。」
昭和10年の洪水による被害は、昭和57年の物価に換算するとその被害総額が56億6519万7千円に相当するるとか。

「しかしながら、当該河川上流域の左右岸には温泉旅館が近接しているとともに河床部には温泉源泉脈があるため大規模な河川改修ができず、局地的な災害復旧が実施されるのみであり、抜本的な治水対策が急務とされている。」
しかし、四万温泉の源泉は、そのほとんどが河床にあるのです。
護岸整備でこれを失うわけにはいかず、大規模な改修もできないままでした。

一説には、四万温泉の年間観光客数は50万人といわれます。
東京ディズニーリゾートの年間のべ来場者数は約2500万人といわれ、そういうとんでもない数字とは比べるべくもありませんが、コンビニもない、繁華街もないただの温泉として考えると、日本最強の温泉といわれる草津温泉の年間300万人、伊香保温泉の120万人と比較しても、そこそこ凄い人数ではないでしょうか。
上州三大温泉だけで年間500万人弱をかき集めるとは、さすが群馬!(注)

しかし局地的な災害復旧しか行えないということは、もしも昭和10年レベルの水害が発生したら、温泉旅館もろとも観光客も被災する可能性があるわけです。
年間50万人。
温泉を楽しみにやって来るそれだけの人数を危険に晒したままではよくない!と考えたのはきっと、温泉協会も中之条町も、そして群馬県も同じだったのに違いありません。

ついにこのような決定がなされます。
「このため、ダムを築造し洪水調節するものである」


そう、四万川ダムはまさに、四万温泉のために作られたダムなのです。



注:草津温泉といえば知らぬものなき日本最強温泉にして、仁義なき温泉まんじゅうの覇権争い(本家だの元祖だの、温泉饅頭屋の接頭語がすごいことになっているw)の舞台としても有名ですが、草津温泉はどこにあるか?と聞くと「群馬県」と答えられる人はガクンと減るのだそーで…
長野五輪にも出場したノルディック複合の荻原健司、次晴兄弟は草津温泉のある草津町の出身なんですってば。
みなさーん!草津も伊香保も四万も、群馬なんですよー!
posted by 夕顔 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四万川リハビリテーション5〜湯立神事と暴れ川〜

湯立神事は、四万温泉発祥の地とされる「御夢想の湯」前で行われます。
yutatesinji2.jpg
四方に青竹を立て、注連縄を張って結界と成すスタイルは、家を建てる際などに執り行われる地鎮祭に似た体裁です。
八脚台を並べた中央に神籬(ひもろぎ/神の依代とされ、通常は榊の大枝に御幣や木綿をつけたものを使う)が置かれているのも、神籬の周辺に神への供物が置かれているのも、やっぱり地鎮祭スタイル。
というかこれ、神社本殿で執り行われる以外の神事の基本スタイルなんでしょうか。

ひとつだけ違っていたのは、神籬が榊ではなく杉であったこと(四万は北関東のさらに北部だから、榊の生育できる北限を超えたのかなぁ?)。
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神事の最後に、大釜で炊いた「御夢想の湯」源泉の湯を湯笹で参拝者にふりかけることで神仏の心をいさめ、災いを取り除き、無病息災を祝うのだとか。

そして戴いてきました、湯守!yumamori.jpg

最後の最後に、まんじゅう争奪大バトル大会(当たりくじ付きまんじゅうが温泉協会の皆さんから投げられる。大当たりは、「豪華四万温泉ペアご招待チケット」!)が行われ、せっかく神事で清められた空気もどこへやら、あさましくもいみじうをかしき光景が繰り広げられたのでした。
いや、この手の雑多さがあってこそ、ジャパニーズ・マツリ。私は大好きですよw

四万温泉は、伝説史実織りまぜた歴史の宝庫です。


さて。本命。
<ダム愛好家と砂防ダム愛好家の方へ>

四万温泉は室町からの長きにわたって人々に愛されている温泉です。
その源泉は、日向見地区と山口地区の一部の源泉以外は四万川の河床にあります。

ということは、なにが起こるか。

源泉が川にあるということは、風呂は自然、川に近いところに作らざるを得ない。
風呂を川の近くに作るということは、宿もまた川の近くにならざるを得ないということです。

群馬を流れる大河といったら利根川ですが、この利根川は古くから暴れ川として有名です。
四万温泉の源泉がある四万川は、吾妻川を経て利根川に流れる、いわゆる二次支川です。
そして四万川もまた、古くから暴れ川であったのです。


四万川が氾濫するたび、洪水被害を受け続けた地域がありました。
四万川は中之条の川です。
でも、中之条の中で、その地域だけが四万川の洪水の洗礼を受け続けました。

以下に、昭和以降の被害だけを連ねます。

昭和10年(1935年)9月。
台風2号による豪雨は群馬県全域に大被害を齎し、県下の死者は218名を数えました。
負傷者190名、行方不明者は39名。家屋全壊467戸。家屋流失859戸。家屋半壊460戸。床上浸水4011戸。床下浸水13320戸。
烏川、吾妻川の流域では実に8000ヶ所もの山地崩壊を引き起こし、後に烏川災害と呼ばれるようになったこの災害は、利根川砂防工事の契機となりました。
いわば砂防マニアが押さえておかねばならないターニングポイントでもありますが、烏川災害という名の陰に隠れたもう一つの顔があります。
64/218。
群馬県下の全死者218名のうち、実に64名は四万川の氾濫による死者なのです。

昭和22年(1947年)9月。
台風9号(いわゆる「カスリン台風」)。
利根川下流の埼玉県栗橋町(現・久喜市)において利根川の堤防が破堤、首都圏が水没したのはあまりにも有名ですが、この時、四万川も氾濫しました。
昭和23年(1948年)9月。
北上川上流改修計画の見直しの元になった台風21号(アイオン台風)による洪水。
昭和24年(1949年)9月
渡良瀬川の堤防決壊を招いた台風10号(キティ台風)による洪水。
昭和25年(1950年)9月
すぐあとにできた台風10号との相互座用で、南の海上を迷走しまくり、大雨を齎した台風9号(ヘリーン台風)による洪水。
昭和29年(1954年)9月
有名な洞爺丸台風(昭和29年台風14号)の直前に来た台風13号による洪水。
昭和40年(1965年)9月
琵琶湖洗堰を全閉にするほどの大雨を降らせた台風24号による洪水。
昭和41年(1966年)6月
栃木・那須野が原の木ノ俣隧道事故(注1)の遠因となった台風4号による洪水。
同年9月
直後に発生した台風26号との相互作用で大変な雨台風となった台風24号による洪水。
昭和56年(1981年)8月
同じ群馬県内で吾妻川に架かる三原大橋(嬬恋村)が落橋、県下で死者も発生した台風15号による洪水。
昭和57年(1982年)8月
台風10号による洪水。(注2)
昭和63年(1988年)8月
豪雨による洪水。
平成元年(1989年)7月
豪雨による洪水。

昭和年間のこの氾濫っぷり。
62年+2週間(昭和元年は12月の最終週のみ、昭和64年は1月の第一週のみしか存在しない)で12回。
約5年に1回の割合で洪水が起きていた計算になりますが、その地区はずっとその水害を甘んじて受けざるを得ませんでした。

執拗なまでに四万川の氾濫にさらされた地区。

その地区の名を、四万温泉といいます。




注1:那須野が原扇状地を流れる用水路の一つに、新木ノ俣用水がある。
那珂川水系木ノ俣川に設けられた新木ノ俣頭首工より取水する用水路で、明治26年(1893年)に灌漑用水として開削された。
昭和41年台風4号による大雨は、新木ノ俣用水の増水を招き、上流部の水路トンネル、木ノ俣隧道の内部の土砂の崩壊をも引き起こし、水が下流に流れなくなる事態になってしまった。
那須野が原は複合扇状地であり、この地域を流れる一般の河川は地下深くに伏流し、洪水時しか水を流さない水無川である。
つまり用水路が閉塞したからといって、おいそれと代替の水源が確保できる土地ではない。
時は6月末。田畑を潤す水が農業上大変重要な時期。
地元住民は復旧のため、60人ほどの有志で木ノ俣隧道の土砂を取り除く作業を始めた。
しかしその作業中、隧道内に持ち込まれた発電機(照明の電源)の排気ガスによる一酸化炭素中毒事故が発生。
隧道内であること、そもそもその隧道が山中にあったことなどから救助が難航、25名の死者と、少なくとも17名の重軽傷者を出した、那須野が原の農業史上最悪とも言われる悲惨な事故である。
事故現場となった水路トンネルは大正時代に掘削されたものであり、老朽化が著しく、改修が予定されていたところにこの事故が起こってしまった。
この事故が契機となり、翌年から予定を前倒しして始まった国営那須野が原開拓事業により、新木ノ俣用水は那須疏水、蟇沼用水、旧木ノ俣用水などとともに改修され、那須用水の一部になった。
これにより流路も若干変更され、木ノ俣隧道は現在使用されていない。

注2:昭和57年は冷夏で、梅雨明けも遅れた。
7月23日には低気圧と梅雨前線の影響により、九州で豪雨となった。
昭和57年7月豪雨は長崎大水害とも呼ばれ、この時に観測された時間雨量187mmは日本における時間雨量の歴代最高記録である。
昭和57年台風10号は全く空気が読めない奴だったらしく、よりにもよって長崎大水害のその日に発生、最低中心気圧900hpa、最大風速65m/sにまで成長し日本に迫ってきた。
さすがに8月2日の日本上陸時には970hpaまで勢力は衰えたが、日本中に大変な大雨と暴風の被害を発生させ、東海道本線富士川橋梁(下り線側)は橋脚が流され倒壊した。これにより東海道本線は75日間にわたり不通になった。
三重県内では国鉄(当時)名松線が全線不通となるほどの大被害となった。最も深刻な被害を被った伊勢竹原〜伊勢奥津間が復旧したのは、翌昭和58年6月のことである。
長崎大水害と台風10号による死者は全国で400名を越えたという。
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2012年03月11日

四万川リハビリテーション4〜世のちり洗う四万温泉〜

群馬県中心部から四万温泉に向かう場合、アクセスルートになるのは国道353号線です。
中之条町中心街を抜けてひた走ると、国道左側に中之条ダムが現れます。
nakanojoudam.jpg

そこからさらに353号線を進むと四万取水堰堤があり、
shimasyusui.jpg
その少し先に車が数台停められる小さな駐車場と四万温泉の最初の案内看板が現れます。

上毛かるた曰く
「世のちり洗う四万温泉」


中之条町発行、「奥の院 中之条」によると
「四万温泉 温もりと憩いの出湯」


四万温泉は、草津(群馬的には読みは「くさづ」notくさつ)、伊香保と並び上州三大名湯に数えられるのに、前者2つの温泉に較べて知名度が今ひとつのような気がするのは、この温泉が歓楽街を抱えていない(それどころか、四万温泉にはコンビニもないらしい)からかもしれません。
でも、だからこそ純粋に温泉の良さを感じることができるのだと思います。
四万温泉は四万川の河床に源泉が湧いていることが多く、川に沿って約4kmにわたり温泉街が形成されています。
温泉街は5つの地区に別れ、四万川下流部、つまり中之条の町に近い方から、温泉口、山口、新湯、ゆずりは、日向見といいます。
この四万温泉、歴史好きにもアニメ好きにも温泉マニアにもダム好きにも砂防ダム好きにも自信をもってお薦めできるところです。
それぞれにどういうところがお薦めかというと…

アニメジブリ好きな方に>
四万温泉に向かう国道353号線にはこんなところがあります。
R353.jpg
群馬が誇る速度抑制装置、メロディーラインです。
音響道路というやつで、タイヤとアスファルトの振動で音を奏でることが出来る構造になっているのですが、さらに制限速度で走ることで、正しい音階で音楽を聞くことができるというスグレモノです。
県内にメロディーラインは10ヶ所設置されており、この中之条のメロディーラインは「いつも何度でも」が流れます。

タイトルをご存じない方も、「千と千尋の神隠し」の主題歌といえばおわかりになるでしょうか?
なぜこの曲が使われているかという理由が、この建物の存在です。
sekizenkan2.jpg
四万温泉にある積善館という旅館の本館と前新と呼ばれる建物ですが(右側)、これが「千と千尋の神隠し」で千(千尋)が働いた神様の温泉宿、油屋のイメージモデルになったと言われているのです。
前新1階の浴場は、川の神様が入ったあのお風呂にそっくりだとか。
積善館では「千と千尋の神隠し」のイメージポイントを巡る、その名も「アニメツアー」を行なっているらしいので、興味のある方はぜひ参加してみて下さい(月、金除く。20:45〜なので宿泊者向け?)

<歴史好きな方に>
四万温泉には開湯縁起がふたつ伝わっています。
四万温泉開湯縁起その1
平安時代初頭、征夷大将軍・坂上田村麻呂(天平宝字2年〜弘仁2年/758〜811)が奥州に向かう道すがら入浴したのが四万温泉の始まりだという説。
田村麻呂が奥州に向かう途中、四万の山中で狩をしていると老人が現れ、「ここにいい湯がある。入れば病苦を治すことができるから、人々のために温泉を開いて薬師如来を安置するがいい。そうすればあなたの武功はますます上がるであろう」と一方的に告げ、姿を消した。
田村麻呂が付近を見渡すと、たしかに湯が湧き出しており、その数が四万箇所あった。よってこの地を四万と名付けた。

この場合、発見は初めて奥州に兵を進めた延暦12年(793年)あたり、ということになります。

四万温泉開湯縁起その2
藤原道長に仕えた四天王の一人で、丹波大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光の家臣、碓氷日向守貞光(天暦8年〜治安元年/954−1021 注1)が発見したという説。
永延3年(989年)越後浅貝(現・新潟県湯沢町)から木ノ根宿(注2)を抜けてこの地にたどり着いたが夜になってしまった。仕方なくこの地で読経をしていると、真夜中にどこからともなく童子が現れ、「あなたの信心に応えて、四万の病悩を癒す霊泉を授けよう。私はこの山の神である」と神託を授けたという。
貞光が付近を探すと、果たしてこんこんと湧出する温泉を発見した。これに感動した貞光は、自信の守り本尊である薬師如来を安置し、湯を「御夢想の湯」と名付けた。そして周囲を神託に倣い四万の郷と名付けた。これが四万温泉(日向見地区)の起こりであるという。

この場合、永延年間と時代はやや下りますが、やはり発見は平安時代ということになります。

日向見という具体的な地名が示されていることから、碓氷貞光説のほうにより信憑性はあるような気もします。
が、群馬の温泉はやたら歴史上のビッグネームが発見している伝説に満ちているので、信憑性は…(注3)

いずれにせよ平安時代には温泉が発見されたという伝説があることに変わりはないわけですが、この温泉が「温泉宿」あるいは「温泉街」として発展するのは室町年間に入ってからでした。
吾妻郡の首城は、中之条の隣町・東吾妻町にあった岩櫃城で、関東管領上杉氏に仕えた斎藤氏が治めていました。
その岩櫃城が武田信玄麾下の真田氏に攻められたのは永禄6年(1563年)10月13日のこと。
岩櫃城は炎上落城、城主斎藤憲広は四万を抜け、越後へ落ち延びました。
十三夜のこと、攻める兵もよく見えたでしょうが、逃げる兵の姿もまた、攻め方には筒抜けだったでしょう。
その敗走する斎藤憲広を護り、しんがりで敵を防ぎ続けたとされる田村甚五郎清政なる人物が、なぜか四万に居着き、湯宿を開いたのが湯治場としての起源であるといいます。
具体的な年代となると、積善館を経営する関氏所有の古文書に「湯場と相立候儀者天正二年の比真田安房守様御領分之節の儀に御座候」の文章があるそうです。
天正2年(1574年)、5月に真田氏初代の幸隆が病死、跡を継いだ長子の信綱は翌天正3年(1575年)長篠の戦いにおいて戦死しています。これらの史実から、四万温泉の開湯は真田信綱の時代であろうと推測されているそうです。
そして信綱の跡を継いだ、信綱の弟・昌幸は、戦国の世で荒れた四万温泉を復興するため、道路、橋梁を修復したばかりでなく、宿まで作るなど温泉開発に尽力したことが史料に残されています。

そして江戸の世に至るまで、四万温泉は一台湯治場であり続けたのです。
なんていい人なんだ、真田昌幸!

閑話休題。
先に出た縁起に「御夢想の湯」が出てきましたが、実際に日向見地区には「御夢想の湯」という外湯(町の人も使う共同浴場)があります。
ここは公式に四万温泉発祥の地とされ、江戸時代までは毎年大寒の日に湯立神事を行なっていたとされ、実際に1712年位奉納された絵馬にはその様子が描かれているといいます。
その伝統の神事が途絶えたのは、天明3年(1783年)の浅間山大噴火と、その後のいわゆる「浅間焼け」による被害と大飢饉で温泉どころではなくなった庶民が多くなったこと、そのあたりから江戸時代も不況に突入したこと、そしてダメ押しのように天保4年(1833年)、中心街であった新湯地区に火事が起こり、9件の湯宿のうち実に7件が焼けてしまったことにより、四万温泉が暗黒の時代に突入したからでしょうか。
近年、というかぶっちゃけ平成18年、四万温泉協会によって神事は復活し、以来毎年大寒の日に執り行われています。

ということで見てきましたよ、今年の湯立神事!
(続く)



注1:碓氷貞光は、「碓氷峠の関所跡」と上毛かるたにうたわれる中山道坂本宿(よーするに碓氷峠のあたり)の生まれと言われる。
子供の頃から力持ちで、碓氷峠には今でも彼が子供時代に持ち上げたという岩が残ってたりするとか。
あ、この辺の銘菓「峠の力餅」って、もしかして彼の故事をベースにしてるのか?
うわぁてっきり峠のシェルパ・EF63(超力持ち)のことだとばかり思ってた…さすが元鉄ヲタクオリティw
しかもググったら「碓氷貞光の力もち」ってまんまのネーミングのあんこの中に餅が入ったお菓子、旧熊の平駅で立売りしてたお菓子屋さんで出してるとか…orz

注2:木ノ根宿は現在の奥四万湖上流端あたりから稲包山の方向に存在したとされる宿場。
戦国時代の享禄年間(1528〜1533年)に野盗に放火され町が全滅。
街道は残り、永らく上州から四万を抜け越後浅貝に至る道として利用されたが、江戸時代に三国街道の猿ケ京関所が開かれたおかげで事態は一変。
木ノ根宿を通る峠道は三国街道の裏街道にあたるため、江戸幕府の厳命により閉鎖の憂き目にあい、街道としての生命も絶たれてしまった。
現在の国道353号は上越国境の三坂峠が通行不能区間となっているが、この三坂峠の別名が木ノ根宿峠である。
そういえば、四万川ダム所在地の正式な地名は中之条町大字四万字木ノ根宿といいましたっけ…

注3:有名どころでは、草津温泉(吾妻郡草津町)、宝川温泉(利根郡みなかみ町/旧水上町)の日本武尊。しかも弟橘媛の伝説もセットである。自分をかばって死んだ弟橘媛を偲んで「吾が妻よ…」と嘆いた土地だから吾妻郡と言うのだそうで。
宝川温泉には入口にどでかい日本武尊の石像がある。
yamatotakeru.jpg
ちなみに、宝川温泉からもそう遠くないところにある武尊(ほたか)山は、日本武尊の東征の故事から「武尊」の字をあてたのだという。
(↑…DQNネームばりに読めないよね?これ)
そして弘法大師空海が発見したという伝説を持つのが、川場温泉(利根郡川場村)・法師温泉(利根郡みなかみ町/旧新治村)・奈女沢温泉(利根郡みなかみ町/旧月夜野町)。お大師さまは利根郡がお好きなのかw
ちなみに草津温泉には行基上人や源頼朝が発見したという説もあります。頼朝は川原湯温泉(吾妻郡長野原町)の発見伝説のほうが有名かもしれませんが。
一方、動物が発見したとされる温泉も多い。
同じ中之条の沢渡温泉は鶏が発見したという伝説がある。
鹿沢温泉(吾妻郡嬬恋村)は鹿が、霧積温泉(安中市/旧松井田町)は犬が、それぞれ発見したといわれている。

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四万川リハビリテーション3〜四万川が流れる町〜

群馬と新潟の境は、この平成の世においても「上越国境」と称されることが多いように思います。
川端康成の「雪国」の冒頭の文章
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
にある国境も上越国境ですが、四万川の源流もまた、上越国境に端を発します。

三国山脈の稲包山を水源とする四万川は、谷を下りながら沢を集め、中之条町を縦断し流下すると、お隣の東吾妻町との境で吾妻川に合流します。
中之条で生まれ、中之条から出るとともに吾妻川に流れを変える。

いうなれば四万川は、最初から最後まで中之条の川なのです。


中之条という町は、八ッ場ダムができたら水没することで有名になってしまった川原湯温泉の最寄り、川原湯温泉駅があるJR吾妻線沿いにあります。
吾妻線や非常に魅力的な橋が多く、橋マニアな私には見逃せない路線です。

はい、以前のエントリでも触れていますが、私は橋マニアです。
たとえばこのような橋たちが大好きです。
PC230020-1.jpgshinonome.jpgusuidaisan.jpgkanisawa.jpgshibasaki.jpg
1枚目は以前にも紹介した上路式アーチの新旧稲核橋(長野県)。ついでボウストリングトラスの名橋、東雲橋(岐阜県)。産業遺産としても重要な碓氷第三橋梁(群馬県)、床板は抜け落ちたものの、いまだ美しいワーレントラスで見る者を魅了する廃橋・旧柴崎橋(福島県)。最後は国内に数例しか架橋例のない貴重なバルチモアトラス、磐越西線蟹沢橋梁(福島県)です。どーです、橋って素敵でしょ?
<以下チラシの裏>余談ですが旧柴崎橋と蟹沢橋梁は、現道の柴崎橋の上流と下流に位置していますが、実はこの現柴崎橋というのは、東北電力の上野尻ダムの天端を通る道を指します。蟹沢は鉄道マニアと橋マニアに、そして旧柴崎橋は廃道マニアに大変有名な橋なのですが…とりあえず、上野尻ダム頑張れ。超頑張れ<以上チラシの裏>

そんな橋マニア垂涎の吾妻線、一体どんな橋があるのかというと。
yamadagawa.jpg石積橋脚が大変美しいプレートガーダー橋、山田川橋梁(中之条〜群馬原町間)。
sindainiagatsumagawa.jpg八ッ場ダム建設により水没する地域を回避するための付け替え線路に作られたPRC斜版橋、第二吾妻川橋梁(新)(岩島〜川原湯温泉間)
dainiagatsumagawa.jpgトラス鋼のダブルレーシングが美しいワーレントラスで、付け替えにより使用中止となる予定の第二吾妻川橋梁(現)(同じく岩島〜川原湯温泉間)
kadoukyou.jpg同じく使用中止となる区間にある小さなプレートガーダー橋、第一東宮架道橋(川原湯温泉〜長野原草津口間)
後半の2橋は、八ッ場ダムが建設された場合、目にすること自体が不可能になります。
見に行くのでしたら今のうちです。
<またチラシの裏>最近交通新聞社より発売された武田元秀氏の著書「ダムと鉄道」において、第二吾妻川橋梁(新)は「「両岸に4本づつ立つ主塔の高さは41.8メートル。10階建て以上のビルの匹敵するコンクリートの塊の、周囲を圧倒するほどの存在感は、単線のローカル線用の橋の姿とは思えない」と評されている。ほぼ全編を通して客観的事実を淡々と書き連ねている本書にあって、ほぼ唯一の主観が現れる箇所だと思われる。ローカル線に高規格な橋梁はおかしい、と読めてしまうこの文章に反発を覚えるのは橋マニアだけだろうか?<以上チラシの裏>

で、そんな素敵な吾妻線沿線の中之条ですが、中之条ビエンナーレという隔年のアートイベント(次回開催はH25)を開催したり、古くから沢渡温泉、四万温泉などで有名なところです。
近年、野反ダムや白砂川ダム、品木ダムなどのある六合村(くにむらと読みます)と合併し町域が広がり、尻焼温泉、花敷温泉などのいわゆる六合温泉郷も中之条になりました。
なんというか、中之条の地面を掘ったらどこにでも温泉が湧く疑惑すら抱いてしまいますが、そもそも群馬県は全県にそんな疑惑があったりなかったり…w
中之条町は「奥の院 中之条」というキャッチで町全体を売り込んでいる、観光にとても積極的な町でもあります。

そして四万川ダムは、ダム下流公園「日向見公園」と名付けられていることでわかる通り、四万温泉日向見地区の直上流に建っているダムですが、
四万温泉と四万川ダム、ご近所なだけの関係ではないのです。(続く)
posted by 夕顔 at 13:53| Comment(3) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月07日

四万川リハビリテーション2〜四万川はダムの王子である〜

四万川ダムは私にとって王子です。
異論は認めませんし受け付けませんw

shimagawakaryuu.jpg

四万川ダムは、利根川水系の二次支川、四万川に設けられた堤高89.5m、堤頂長330.0m、堤体積51万6千㎥の重力式コンクリートダム(普通の人が想像する、いわゆるダムの標準的な姿)。
その特徴は
・化粧型枠(積水化成のエスレンTYK「ランマット」による)
・水が青い
・堤体が白い
・ダム湖が小さい
・減勢工がステキ過ぎる
・夏季はえらく水が少なく感じる
という点があげられると思います。

一度行って頂ければお解りいただけると思うのですが、四万川ダムは非常に水が青いのです。
科学的にちゃんと証明されたわけではないのですが、現在のところ最も有力な説によると、
四万川ダム湖(奥四万湖)上流端あたりに湯の泉という温泉が湧いているところがあるのですが
そこの温泉水が湖水に流入することにより、水中の微粒子がレイリー散乱という現象を起こすのが原因と考えられるらしいです。
レイリー散乱については情報通信研究機構のサイトでの説明がわかりやすいと思いますので、興味のある方はご参照下さい。
ものすごーく噛み砕いて言うと、
1・水が青く見えるのは、水分子によって長波可視光である赤色が吸収されるからである。
2・レイリー散乱は、短波可視光である青色を、水中の微粒子がさらに散乱させることによって、より水を青く見せる効果を発揮する。
ということと考えていただいていいかな…(ええっ?さらにわかりにくい??)
で、温泉水由来の微粒子は溶け込んでるけど、四万川の水に有害物質は混入していなくて、
むしろ清流で有名な四国の四万十川に匹敵する綺麗さを誇ります。
要するに、綺麗で青い水なのです。
shimagawajouryuu.jpg
そしてその水を塞き止めている堤体は、まだ竣工後十数年と新しく、白っぽい。

白い堤体に青い水。
こんなダム、少なくとも群馬じゃ他にありません。

そして、四万川ダムの堤高はさっきも書きましたが89.5m。割と大きな重力式コンクリートダムです。
そのくせダム湖は大きくなくて、天端に立つとダム湖の最上流辺りまで見渡せてしまう。
さらに、夏場にこのダムに行った人は、あまりの水位の低さに驚くと思います。
ダムについて知らない人は渇水だと勘違いするんじゃないかってほど。

四万川ダムは上信越国立公園内にあります。
このダムの周辺も緑がゆたかです。
そんなところに白くて綺麗なダムがあるのに、もうちょっと水をためられないのか?と思う人もいるでしょう。
私も最初はそうでした。

でも、なぜ水が少ないのか?ということが問題なのです。

このダムは、水を少なくしておかなければならないダムなのです。
要するに、洪水調節のために容量を確保しているのですね。

逆に言うと、ここまで水位を下げておかなければならないほどの流入が見込まれるダムだということです。

四万川ダムの常時満水位(非洪水期において、この水位まで水をためておく)はEL(標高)751.5m。
夏季(洪水期)の水位(洪水期制限水位)はEL728.5m。
これだけでも23mの水位差があるわけですが、
洪水調節をするダムには、ここまでいっぱいいっぱい水を貯めこむことが可能である、ということを示すサーチャージ水位というものがあります。
四万川ダムのサーチャージ水位はEL764m。
サーチャージ水位から洪水期制限水位までの水位差は、実に35.5m
水の量に換算すると740万㎥であり、わかり易く東京ドームに換算すると6杯分(東京ドーム1杯分は約120万㎥)になります。

東京ドーム6杯分の水。

四万川ダムは、それだけの水を抑えるために作られているのです。
posted by 夕顔 at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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